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古田 陽子 プランナー
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”人間的な都市”ってなんでしょう?

2019/08/08

都市、自然、人間

個人的な話になりますが、わたしはあまり昆虫が得意ではありません。
長い冬が終わり、うららかな春が来ると同時に、わたしは身を引き締めなければなりません。

油断をしていると、不意に部屋にスカラファッジョ(伊)が現れたり、ベランダに蝉が不時着していたり、とくに温暖な時期は様々な有事が発生しますから。
引越しが趣味なのですが、毎回有事を避ける戦略を立てているにもかかわらず、結局、緑がもさもさしている公園の近くなど、鳥や虫の鳴き声が聞こえるくらいの階数を選んでいます。
コオロギ、ひぐらし、風が緑をゆらす音、自然が奏でる音色にはどんな恐怖にも勝る不思議な癒やしがあるようです。 

昨年、アジアの内陸都市を仕事で訪れたのですが、うだるような熱気と湿気にも関わらず路上には害虫が一切見当たりませんでした。
美しい古都なのですが、一体この都市の地下はどんなことになっているのだろうと不安になったのを覚えています。
なにかの記事に書かれていましたが、現代の都市計画では自然といっても動物や植林などに重点を置いていて、生態系の維持に欠かせない昆虫やバクテリアは排除されがちとのこと。
人間にとって都合がよすぎる自然は、もはや自然らしきものに過ぎないのかもしれません。
近年、バランスを欠いた現代人に向けて、“ウェルビーイング”というコンセプトをあちらこちらで見かけるようになりました。
“良好な状態であること”を指すこの言葉の主語はヒト。
 同じくフォーカスされはじめた“ヒューマニティ(人間性)”というワードとも深く結びついています。
都市開発の分野でも、ヤン・ゲールによる『人間の街』(鹿島出版会)といった書籍に代表される、ヒトが主役のオープンスペースやアクティビティが主要なテーマとなりつつあります。理論と技術が優先された前世紀の反省を経て、ようやく人間らしい都市生活に光が当たりつつあるようです。

大きすぎやしないか?

先日、とあるラジオ番組に都市デザイン分野で著名なクリエイティブディレクターの方がゲストで出演されていて、技術は革新によりダウンサイジングされていくのになぜか建築は反比例のように大きくなっている、というような内容のお話をされていました。
確かに、都心部でもここ数十年の間に超高層ビルが次々と建築され、オフィスやホテルだけでなく住宅の分野でも100メートル以上の高さに住むことはごく当たり前の選択になってきました。世界的にみても、モダニズム以降、マスターたちが都市や建築のあり方について100年近く議論と実践をつづけてきたわけですが、建築の大型化がやり玉にあがることは少なく、むしろ実験の対象として進化しつづけてきたたように思います。ヒトの都市空間への欲求というのは果てしなく、むしろ技術革新やダウンサイジングが物理的な空間の拡張に貢献しているというのが実態なのかもしれません。
とはいえ、人口が右肩あがりの時代であればわかりますが、今の日本は縮小フェーズ。そろそろ立ち止まって、”すでにあるもの”について考える時代に入っているのだと思います。
 

どこもかしこもカフェ

最近では、音楽媒体のCDのことを、ストリーミングに対して懐かしさをこめて“フィジカル”と呼んだりするそうですね。都市とヒトとの関係性についても同じような表現が使えるのではないかと思います。昔は当たり前だった都市生活での“フィジカル”な感触を、現代では感じにくくなっているという意味で。例えば、住宅や小規模なビル、歩道、公園、路地裏といったヒューマンスケールな場所であれば、その存在や質感などを自分事として体感することができます。
けれども、どことなく同じような顔をした超高層ビルが林立する場所になると、自分の力や思いが及ばない場所のように思えてきませんか。“どこでもない、どこにでもある場所”といった感じでしょうか。
近頃の、都市におけるネイバーフッドコミュニティ、カフェ的空間の大切さが見直されているのも、こういった都市とヒトとの希薄な関係をもう一度つなぐ役割を果たしているからでしょう。ただし、都市や施設開発に携わるプランナーにとって、そういった要素をマニュアル的に落とし込めば大丈夫、という思い込みは避けた方がよさそうです。それはあくまでも手法の一つであって目的ではないですし、どこもかしこもカフェになってしまいますから。

人間的な都市

“人間的な都市”ってなんでしょう?という課題に取り組んだことで有名なのは、ジェイン・ジェイコブスです。

半世紀以上前に書かれた『アメリカ大都市の死と生』(鹿島出版会)を改めて読み返しますと、経済、コミュニティ、防犯、車社会への対応など、今でも色あせることのない鋭い考察に驚かされます。
昨年公開されたドキュメンタリー映画では住民vsデベロッパーの抗争ばかりがフォーカスされていた印象ですが、むしろ彼女の功績は、それまでの都市開発について技術偏重モノ目線だったものをヒト目線で捉えなおした点にあります。
それはおそらく、彼女がジャーナリストとして、都市を“つくる側”ではなく、“つかう側”の視点にたって観察することができたからでしょう。そのときに守ったワシントンスクエアパークは、NYのハートとして、今も市民に愛されつづけています。
著書の中では、有名な4原則だけでなく、都市の課題を一般化しないための考え方を示してくれています。意訳しますと、建築家やプランナー(都市計画家)たちは、論理的、演繹的に取り組むように訓練されているけれど、都市とは複雑な生態系のようなもので課題解決に特効薬はない。解決策を考える時には、それぞれを丁寧に観察し、個性を見極め、過度な一般化・マニュアル化することなく帰納的に取り組みなさい、といった感じでしょうか。学生時代は当たり前だったフィールドワーク、大人になってショートカットしがちですが、やはり地味にかけらを拾い集めていくプロセスが大事だということです。
結局、人間的な都市というのは、決まったスタイルがあるわけでも、条件を満たせば完成するものでもないのだと思います。その土地、場所、空間を“つかう側”の目線になって、愛着や活気を生じさせている理由はなんなのかを観察しつづけること。それを通してようやく、“どこにもない、ここにしかない場所”に近づくことができるのかもしれませんね。
 

『人間の街』(鹿島出版会)ヤン・ゲール
『アメリカ大都市の死と生』(鹿島出版会)ジェイン・ジェイコブス




 
古田 陽子 プランナー
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