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森 誠一朗 腹ペコプランナー
腹ペコプランナー

静岡で、歴史博物館の現代的意義を考える

2022/03/28

総合歴史博物館がなかった静岡市に、なぜ今つくられることになったのか

これまで静岡には、県にも県庁所在地である静岡市にも、その通史を扱う総合歴史博物館がありませんでした。しかし2010年に、静岡市で「歴史文化施設プロジェクト」が始動。2021年には施設名が静岡市歴史博物館に決定し、現在は2023年の開館を目指し、展示づくりも最終段階を迎えています。
今回は静岡市歴史博物館長予定者の中村羊一郎さん、2014年から6年間プロジェクトを牽引されてきた静岡市役所の岩田智穂さん、そして現在博物館展示整備の中核を担う同市役所の赤木渚さんの3名にお話を伺いました。なお、インタビューアーは基本計画から展示工事まで、一貫して本プロジェクトに携わってきた乃村工藝社のプランニングディレクター・森誠一朗が担当。
プロジェクト始動前の様子、始動後の取り組みを振り返りながら、どうして歴史博物館がつくられることになったのか、その中で皆さんがどう行動し、役割を果たしていったのか、さらには歴史博物館への想いや期待を語っていただきました。

現在、建設中の静岡市歴史博物館。2023年1月に開館予定。

なぜ静岡には、これまで総合歴史博物館がなかったのか?

森:今日は歴史文化施設プロジェクトが始まる前の話と、始まって以降の話を伺っていきたいと思います。まず、皆さんが静岡の歴史に深く関わることになった経緯から伺いたいのですが。

中村:私は高校で郷土研究部に入部し、大学でも歴史と民俗学を専攻しました。その後、高校教員になって静岡に戻ってきました。県立静岡高校で日本史を教えていたとき、静岡高校の100年史の編集に携わりました。静岡高校の100年史って、単なる高校の歴史じゃなく静岡の教育の歴史そのものなのです。3年くらい資料収集と執筆、編集に打ち込みました。それが静岡の歴史から離れられなくなった一番大きなきっかけです。
その後県教育委員会の文化財課に入り、県民の要望を受けて(1985年に)県史の編さんがスタートし、13年目に予定通り完成させました。最後は県史編さん室長でした。その過程で県あるいは市にとって歴史博物館は必須だという声が強くなり、政令市静岡の博物館へとつながっていくわけです。

岩田:前静岡市歴史文化課長の岩田です。私は、小さい頃から歴史は好きでしたが、地元の歴史をそれほど意識していませんでした。興味を持ち始めたのは、市役所に文化財の担当として採用され仕事で関わるようになってからだと思います。

赤木:私は小さい頃から静岡の史跡が身近にありました。祖母の仕事場の近くにある賤機山に登ったり、駿府城で遊んだりしていました。あと、うちの親がよく、登呂博物館や静岡市文化財資料館、市外の博物館に連れて行ってくれました。ただ静岡の歴史に強い興味を持っていたわけではなく、大学を出て就職をしてからぐっと入り込んでいったと思います。

森:お話を聞くと中村先生は長く静岡の歴史について関わられていますが、今回のプロジェクト以前にも、歴史施設の設立構想に関わったという経験はありましたか。

中村:県史の編さんで多数の資料が集まったのですが、県には公文書館がありません。なんとかこの伝統を継承しなくちゃいけないと思い、県史に関わった人たちでグループを結成すると、公文書館や博物館をつくろうという機運が盛り上がってきたんです。集まった膨大な資料は、県史編さん事業が終えてからは「歴史文化情報センター」という組織で保存しながら公開したんですよ。
でも肝心の博物館にはなかなかつながらない。歴史博物館がないのは静岡だけという状態が続いていて、今回、ようやくここに至ったというわけです。

中村羊一郎さん。2023年に開館する静岡市歴史博物館の館長に就任予定。

森:どうしてこれまで静岡に総合歴史博物館が設立されなかったのでしょうか。

岩田:自分が文化財の仕事に関わっている中で、なぜできないのだろうという話題はよく出ていました。静岡市には登呂遺跡の整備と登呂博物館の開館という、戦後の日本の考古学に大きな影響を与えたプロジェクトがあり、それがひとつの成功事例としてあったので、ある意味満足してしまったのでは?とか、静岡市には浅間神社や久能山東照宮もあるし、歴史的なものを身近に見られるので、博物館への要求が薄いのでは?という話もありました。
考古学の登呂博物館のほかに、静岡浅間神社の宝物を展示する静岡市文化財資料館もあったので、それで満足してしまっていたのかなあと、職員同士で話したりしていましたね。

赤木:私は子供の頃に、なんで博物館がないのだろうと感じていました。登呂の博物館はあるけれど、静岡の江戸時代のことをもっと知りたいなあ、と思ったりしていました。

構想はある。でも、具体的な設立につながらない

森:これまでに市内で博物館設立の構想が立ち上がったことはなかったのでしょうか。

中村:県に美術館がありますよね。あれも最初は、美術博物館構想だったのですよ。それと(1980年に)駿府城内を発掘したときに今川館ではないか、という遺跡が発見されて、お堀の中には美術博物館が建てられないということになった。そうしたことも関係しているかもしれません。
美術博物館構想以外に、世界に誇るお茶の博物館を作るという構想もありました。文化的な意味も含めたお茶の総合的な仕組みを考える博物館を整備しようと、県と県内市町村が賛同をしたんです。でもバブルがはじけて計画が頓挫してしまった。

森:プロジェクトはいろいろあったけれども、立ち消えになってしまった。総合歴史博物館設立の機運も盛り上がってこない。そのような状況を中村先生ご自身はどうお考えだったのですか。

中村:なんとかしなくちゃという気持ちは、もちろんありました。「歴史博物館を実現する会」を通してはたらきかけましたが、なかなか難しかったですね。たとえば仙台は伊達家の財宝とか、核になるコレクションがあるのですが、(城主不在の幕府直轄地だった歴史から)静岡にはないんです。殿様ご愛用の品々とか、大きなコレクションがあれば、それを核として博物館をつくる機運も盛りあがるんですが、そういうお宝がなかったことと、市街地を焼き尽くした大火と戦災によって古いものが一挙に失われてしまったことも一因だったのではないでしょうか。

ついにプロジェクト始動!テーマは徳川氏と今川氏

森:そんな厳しい状況を乗り越えてようやく博物館が誕生するわけですが、今回のプロジェクトがスタートした経緯を教えてください。

岩田:2003年4月に、静岡市と清水市が合併したのですが、それより前に静岡市の教育委員会では、総合歴史博物館の構想が立ち上がっていて、2003年3月に基本構想を策定しました。
2005年に静岡市の新しい総合計画が策定され、教育委員会ではなく、市長の権限のもとで歴史文化施設を整備することになりました。街づくりとか経済活動とかの要素を入れた施設にするために、あえて博物館という名称は使わず、歴史文化施設という表現で計画が進みました。
市外、県外からも来てもらう施設にするため、静岡市が打ち出せる大きなテーマを中心にしたほうがいいということになり、徳川家康と今川氏を中心にした施設にする方向で話が進みました。それと並行して中村先生の博物館設置の活動も活発になっていくんですよ。2011年に市長が変わったことが、大きなターニングポイントになり、プロジェクトが大きく動きはじめました。

岩田智穂さん。長年にわたり静岡市の歴史博物館プロジェクトに携わってきた。

中村:徳川の話がクローズアップされたのには、商工会議所も絡んでいます。もともと家康公没後400年というメモリアルイヤーを商工会議所が中心になって設定しました。そこから静岡はもっと徳川を打ち出していこうと、2012年に徳川みらい学会ができるのです。このみらい学会には全国で名を知られた先生方に理事に入ってもらい、活動していきました。
ですから商工会議所としては、観光振興と徳川氏・今川氏をテーマにすること、この2つが推しなんです。いろいろと講演会を催したり、毎年のように博物館設立の要望を出したりして、だんだんと機運が醸成されていくわけです。

森:先ほど、博物館ではなく歴史文化施設ということでプロジェクトが進められたと伺いましたが、最終的に名称は静岡市歴史博物館に決まりました。それにはどういう経緯があるのでしょうか。

中村:もともと博物館という名称では予算がつきにくいという雰囲気はありました。それと博物館が観光政策と結びつきにくいので、歴史文化施設として観光の拠点にしたいという考えもありました。ところが市民から見ると、歴史文化施設といわれてもなんの施設なのかわからない。

赤木:それで一昨年あたりからそろそろ正式名をどうしようかという議論があり、中村先生とのお話で、やはり博物館というのを大切にしたいと。それを受けて、5案くらいあった名称候補の中から、何がベストかを議論しました。最終的に、ジャンルは市の歴史を扱う博物館だということで、静岡市歴史博物館に決まりました。

赤木渚さん。2023年の開館に向けて、静岡市歴史博物館の展示整備の中核を担っている。

中村:結果的にわかりやすく大きな名前がついたおかげで、何でもできるということになりますね。今後の多様な展開はやりやすいんじゃないかと思っています。

委員長は、理念の一番の理解者である中村先生に

森:今回のプロジェクトの中で、それぞれ皆さんはどんな役割や仕事をこなしてきたかを教えて下さい。

中村:私は特に公的なポジションにはなく、学識者として顔を出すとか、NHKのローカルテレビで歴史番組を担当したりして、世間的にはいろいろと発信をしてきたつもりです。
私がやりたいことを市役所の皆さんも理解してくれて、検討委員会を作るときにもメンバーに入れようということになったのだと思います。

岩田:先生の働きかけは相当大きかったですね。私は行政職だったので、2009年〜2013年の間、文化財担当ではなかったですが、外から見ていても、委員会が立ち上がったり、博物館整備に向けての動きは本格化していたと思います。私自身が博物館整備事業に関わったのは2014年からです。6年間、基本計画、基本設計、実施設計を担当しました。その後、2020年に観光課、今年総務部に異動しましたが、現在も博物館の運営についていろいろな形で関わらせていただいています。

赤木:私は2016年から歴史文化課に配属になりました。もともとは駿府城跡天守台発掘調査の「見える化」に携わっていました。天守台跡地の今後の整備を考えるため、発掘調査によってデータを得ることに加え、発掘している状況とその進展を市民の皆さん、観光客の皆さんに見ていただこうという取り組みです。現在は歴史博物館プロジェクトの担当に移っているのですが、いまも駿府城と歴史博物館をつなぐ役割を担っています。

森:岩田さんのお話をお聞きすると、やっぱり委員長は中村先生しかいないという感じだったのでしょうか。

岩田:歴史文化施設と言っていた当時は、「文化力から経済力へ」というキャッチフレーズを前面に打ち出していました。そのため、観光や地域経済に広がりをもたせた施設計画を理解してくれる方でないと委員長は難しい。歴史系の研究者はいらっしゃるのですが、経済の部分までわかる方は中村先生しかいない。市が考えた施設の理念の一番の理解者であるという点で誰が委員長であるべきか、答えは明確でした。

「文化力から経済力へ」の方針が示された基本計画概要版(2018年策定)。

中村:行政と文化施設の関わりについては、僕なりの考えがあるんですよ。時代情勢を考えると、文化力や観光が地方都市の生きる最大の道ではないかと思うのです。文化博物館局を作って、政策を織り込みながら展開できるくらいの仕組み作りが必要じゃないかと。
博物館ができました、何人入りました、というところで終わらせて欲しくない。だから、私自身は、この巨大な知の塊を市の将来にどう活かすかという発想を職員たちにも持って欲しいと思うんです。

岩田:市では、教育委員会にあった文化振興、スポーツ振興、文化財を、経済局にあった観光課と同じ局長のもとで観光交流文化局に再編しました。まだ十分に機能しているとは言えないのですが、そのとりかかりにはなっていると思います。

中村:せっかく大きな構想ができても、縦割り行政で統一的に展開できないのではダメ。博物館は凄い潜在力を持っているはずだし、それを積極的に活かす仕組みが欲しいですね。

根底に流れるのは「彰往考来」。過去を学び、未来に活かす

森:基本計画には「文化力から経済力へ」というフレーズがあるということですが、それ以外に今回の施設で大切にされているコンセプトやキーワードがあれば教えてください。

赤木:基本理念が「歴史文化から静岡の未来をつくる。〜静岡の過去を学び、今を知る。そして、未来を考える。〜」なんですが、それを一言でいうと、「彰往考来」と言うフレーズなのではないかと思います。
意味は、“過去をあきらかにして、未来を考える”ということ。そのプロセスは歴史に限らずどんな分野でも大切なんじゃないかと。別に歴史が好きでなくても、博物館から何かを感じ取り、それぞれの生活に活かしてもらえたらいいのかなと思います。

岩田:自分が歴史に興味を持ったのは、過去の人たちの生活シーンが映像として浮かんでくるのが、すごく楽しかったからなんです。例えば縄文時代の人が今と同じ感覚で土器をつくっていたり、平安時代の古文書に残っている大地震の様子が、今後の地震対策に活かせたり。過去に起こったことは、未来にも起こりうることなんだと。歴史は暗記じゃない、将来に生きるものなんだよと。そんなことが何らかの形で市民の皆さんにも浸透していって欲しいと思ってやっていました。歴史博物館は年表をなぞるだけのものには絶対にしたくない。それがまさに「彰往考来」ということだと思います。
実は、博物館に徳川家達が書いた「彰往考来」の書を展示することが決まっています。これはもともと市長室に飾られていたものです。市長に意図を説明したら、博物館への展示を二つ返事で認めていただきました。

中村:二千何百年も前の言葉が今も生きているってのは凄いことだよね。まさに普遍的な原理ですね。


現在は市長室に飾られている「彰往考来」の扁額。徳川家16代德川家達筆。静岡市歴史博物館で一般公開予定。

森:いよいよ2023年にオープンする予定ですが、博物館に対しての市民の皆さんの反応を伺いたいのですが。

中村:歴史に興味のある市民からは期待する声が高いのですが、歴史に興味がない人にはまだまだ認知されているとは言えないですね。そのギャップをどうやって埋めていくかが非常に大事だと思います。これからやるべきことは皆さんに期待を持ってもらう方法を探っていくこと。そこは非常に難しいけれど、やりがいがあるなと感じています。

岩田:表立って反対の声は聞こえてこないのですが、冷静に考えると反対するに至っていないのではないか、実はあまり関心もないのかなと言う感じがします。ただ、博物館が開館すれば、広がっていく部分はあると思うんです。オープンしてからの活動がすごく大切だろうなという気がしています。

赤木:正式名称が静岡市歴史博物館と決まって「あ、博物館ができるんだね」と言う声が今年になって大きくなってきました。また、県外にお住まいの静岡市にゆかりのある方からも資料寄贈のお話をいただくことが増えてきています。岩田課長がおっしゃったように、出来てからいかに地域に入り込んでいくかが重要だと思います。基本計画では「市民とともに成長する博物館」という考え方を大事にしていますから。市民に寄り添っていける博物館であることに力を入れていきたいですね。

次の世代が静岡を愛し、歴史を愛し、熱く語れる博物館へ

森:最後に、皆さんそれぞれの博物館への想いや、市民の皆さんにアピールしたいことがあればお聞かせください。

中村:私は、市の政策、戦略と、博物館がどう絡んで将来展開できるのかというのが重要なポイントだと思います。自分自身も静岡市民のひとりとして考えると、次世代の子どもたちをどうやって静岡に引きつけていくかが大きな目的にならなくてはいけない。そういう意味で子供たちが将来の静岡市民として、博物館に何を感じてくれるかを大切にしていきたいですね。
もうひとつは、歴史の研究そのものの学術的な拠点としての位置づけを忘れてはいけないということ。博物館の機能を十分維持し、さらに発展させていく。そのために静岡の歴史をきちんと明らかにしていくことは必要不可欠だと思います。私は、江戸時代の静岡には、すごいポテンシャルがあったと思うんです。静岡市歴史博物館で得られた研究を対外的にもどんどん発信していければいいですね。

岩田:私は市民の皆さんが、自分が育った街のことを自分の言葉で語れるようになってほしいと思っていて、その助けになるような施設になってほしいですね。

赤木:市民の皆さんと一緒に地域を歩いた際に、自分の知っている歴史と皆さんの身近な知識が合わさったとき、地域の見え方が変わるという経験を何度かしています。博物館をベースに、そういった楽しみも共有していければいいなと思いますね。この博物館は開館していきなり静岡でトップを走っていかなければならないというプレッシャーはあるのですが、だからこそ市民の皆さんに支えていただきながら一緒に歩んでいくことが必要だと思います。

中村:先日、ある方から「博物館の目玉はなんですか?」と聞かれたんですよ。それは人を集めるための具体的な展示物やモノがないと不十分じゃないかという懸念からの質問だと思うのですが、我々としては、博物館の目的や理念をきちんと説明して、「市政や静岡市の市民にとって大きな意味を持つように頑張っています。未来をひらくための知の源泉、それが目玉ですよ」と言えるようにしていきたいですね。

岩田:この博物館は、モノではなく、物語を見せる施設にしていきたいですね。ここに来れば、家康や今川義元が使ったモノだけではなく、家康や義元の一生がわかるんだよと。一生懸命生きて、悩んで、生涯をここで終えた家康が私たちと同じ一人の人間として伝わる博物館になるといい。そう思っています。

森:開館というのはゴールではなく、あくまでもスタートだということですね。開館後のさらなる展開を期待しています。本日はどうもありがとうございました。


塔頂ドームが印象的な静岡市役所本館前で記念撮影。中村さん、岩田さん、赤木さんを囲むのは乃村工藝社のプロジェクトメンバー。
森 誠一朗 腹ペコプランナー
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