空間と体験の可能性を追求する乃村工藝社のオウンドメディアnomlog(ノムログ)。
神 剛司 ミュージアム プランナー
ミュージアム プランナー

人権を見つめるミュージアム

2022/05/12

生きづらさを感じたら 訪ねてほしいミュージアム

 もしあなたがいま、生きづらいと感じているなら、ぜひ訪ねてほしいミュージアムがあります。ここは熊本県合志市にある国立療養所菊池恵楓園。厚生労働省が管轄する全国に13箇所あるハンセン病の患者を治療する施設の一つです。その一角に菊池恵楓園歴史資料館はあります。ハンセン病の歴史と菊池恵楓園の入所者の人生を語る、人権をテーマとしたミュージアムです。弊社は本館(既存の社会交流会館)の展示リニューアルと新館(歴史資料館)の展示新設の基本計画、設計、施工を担当しました。

 





なぜ自分は生まれてきたのか

なぜ生き続けなければなら
ないのか

 誰よりも、こう自問し続けてきた人々がここで暮らしてきました。あなたがいま生きることに悩んでいるのなら、このミュージアムできっと様々な気づきがあるはずです。

 誤解のないようにお伝えしておきますが、ハンセン病は遺伝する病気ではありません。感染症ですが、その感染力はきわめて弱く、いまでは完治する病気です。ただ病気の後遺症で顔や手足など身体が変形することがあり、治療法がわからなかった時代は極度に恐れられました。ハンセン病と診断されれば、まるで罪人のように肉親や親しい人から引き離され、逃亡防止の壁で囲まれた療養所に隔離されました。欧米に比べてひどく時代遅れであった日本の『らい予防法』※が廃止された1996(平成8)年までその状況は続き、ここは療養所というより収容所のようだったと入所者は語っています。
    
 
ハンセン病の治療法が確立され、完治するようになり、法的な束縛がなくなっても全ての入所者が故郷に帰れたわけではありません。いまでも園内の納骨堂には故郷に戻れない1,300を超えるご遺骨が残されています。それ程までに社会にはハンセン病に対する差別が根深かったのです。平均年齢86歳になった入所者のみなさん約150名が、いまだ帰ることなく園内で暮らしています。栄養状態が良くなった現在の日本にはハンセン病の患者はほとんどなく、来日する外国人にわずかながら見られる程度です。それでも差別が消えたわけではありません。
   差別は人が焦燥感などの不安にかられて、誰かを蔑む行為です。このミュージアムではハンセン病に対する過酷なまでの差別に打ちのめされながら、それでもひたむきに生きてきた人々に『出会う』ことができます。紙面の関係もあり、個々の展示の詳細な説明はできませんが、ぜひ資料館を訪ね、この場に身を置き、展示を通じてハンセン病とその患者の人生に向き合ってほしい。わたし自身がそうであったように、この事実を知らなかったことの恥ずかしさ、悔しさ、そして恐ろしさが入り混じった感情を経験してほしい。事実を知り、自分の無知にたじろぐことでしか、わたしたちは「取り巻く世界」を本当に理解しようとはしないと思うからです。
   リニューアルの事業コンセプトは、「菊池恵楓園 心のかけ橋ミュージアムの整備」としました。展示は「入所者と社会の橋渡し役」と位置づけ、「あなたはわたし」、「わたしはあなた」と語りかけ、入所者とその人生を来館者の記憶に焼き付け、自分事として捉えてもらうことをめざしました。

※「らい予防法」は、1907(明治40)年制定の癩(らい)予防法、1953(明治28)年改正に続き、1953(昭和28)年、患者の猛反対を押し切って成立した。この法律の目的は、ハンセン病 (らい) の発生予防とともに、患者の隔離、医療、福祉をはかり、それによって公共の福祉の増進に資することだったが、実際は社会におけるハンセン病に対する偏見や差別をより一層助長したといわれ、患者だけでなくその家族も結婚や就職を拒まれた。らい予防法は欧米に約50年遅れる形で、1996(平成8)年にようやく廃止された。その後、2001(平13)年、患者による国賠訴訟の結果、「らい予防法」は憲法違反であると熊本地裁の判決が出た。そして国は控訴を断念した。

他人事でなく自分事の展示へ


 展示を企画設計する者には、その着想の原点となった体験があるものです。それについて述べてみます。基本計画を作成するために菊池恵楓園を訪れたある日、旧展示室でボランティアガイドの説明を聞く約15名の大学生らしいグループを見かけました。興味にかられ少し離れて観察していると、ガイドの説明を熱心に聞いている前列の数人を除き、残りは後方で自分のスマホをいじったり、離れて勝手に歩き回ったりと全く興味のない様子にいささか驚きました。彼らにとってはハンセン病患者の人生は「特殊な人々」の「特殊な経験」であり、他人事でしかないのでしょう。自分に関係なく、興味がなければ、人は話を聞く気も起らないものです。
 この気づきから『来館者が他人事ではなく、自分事として感じ、考えることができる展示をつくらなければならない』と決心しました。それが企画設計者であり、プランナーである自分にいま求められている使命だと捉えました。

 あなたは知っていただろうか。
 ハンセン病を発症すれば
 小さな子どもでさえも親から
 引き離され、この施設に隔離
 されたことを。

 あなたは知っていただろうか。
 ここに入所させられた人は本名
 を名乗れなかったことを。
 それは名前から家族へと差別の
 被害が及ばないようにするため
 で、それ程まで激しい差別が
 本人だけでなく、入所者の
 一族を苦しめました。

 あなたは知っていただろうか。
 入所者同士は結婚が許されても
 子どもを産むことは許されなか
 ったことを。
 ハンセン病が遺伝しない、
 感染力が弱いということが
 わかってからも、変わること
 はなかったのです。

 切々と語る入所者自治会の太田明副会長のお話を聞きながら、世間にほとんど知られていないであろう、これらの事実を、事実としてきちんと伝えなければならない。他人事ではなく自分事として見学できる工夫を凝らさなければならない。それを果たすためにこの仕事からわたしは選ばれたのかもしれない。そう自分を追い込みながら、この仕事と向き合いました。

入所者のみなさんにも参加していただいた展示

 『らい予防法』が廃止された1996(平成8)年以降に始まった社会見学で、入所者自治会の志村康会長は子どもたちに最後にこう語っています。
君たち、どんなにつらくても、死んではいかん 

 この言葉を聞いた時、思わず息が止まりました。愛する人や子どもなど家族と引き離され、療養所に連れて来られた入所者には、二度と出ることができないわが身を憂い、世をはかなみ、自死した人もいました。死ぬほどつらい体験をしてきた人が語る言葉として、これほど気高く、そして深みのある言葉があるでしょうか。人生は生きる価値がある。感動したわたしは、その言葉をそのまま活かした展示を提案し、採用されました。あなたが来館した際にぜひ探してみてください。
 その他にも入所者の「魂」が込められた言葉・詩歌や書などの文芸、木彫りの彫刻、絵画、写真などの作品をふんだんに盛り込み、随所で出会える展示になっています。とくに絵画は全国各地で展覧会が開催されるほどの心打つ素晴らしい作品です。また園内の四季の風景などのインパクトある写真は、カメラ部代表でもある太田副会長の撮影です。それがなければいまの展示は成立しませんでした。また太田さんには入所者のみなさんとの密接なパイプ役をしていただきました。こうして納められた作品という「入所者の魂」と、あなたにはここで静かに向き合ってほしいと思います。

実現できなかった「子どもたちとつくる」展示

 わたしは企画設計者として、地域の子どもたちと展示を制作することを強く望みました。それは設計に先立つ基本計画の中で「歴史から学んだ教訓の継承と地域づくりの場の創出」を謳っていたからであり、その実現には展示の制作過程は、重要な機会となると考えていたからです。そこで地域の学校の協力を得て子どもたちの参加を募り、一緒に展示づくりを進めようとしました。
 全部で29箇所ある「場面再現」は、写真絵本の手法を用いたもので、例えば「病の発覚の場面」とか「保健所の職員が土足で自宅に踏み込んできた場面」とか「夫婦が医師から優生手術を迫られた場面」など入所者の人生の壮絶なシーンを切り取った展示です。根拠の確かなシーンを、実際に人が演じて構図とポーズを決め、さらに人形を使って場面をつくり撮影して再現したものです。まさにこのポーズ決めをワークショップ形式で、地域の子どもたちと一緒に話し合いながら実施する予定でした。

 ところが、新型コロナ感染の状況が思わしくなく、結果的には諦めざるを得ませんでした。この展示づくりに地域の子どもたちが関わっていたなら、ハンセン病について彼らの心に刻む一生モノの体験になり、これから自分事で考えてもらう貴重な機会になったのではないかと思うと、残念でしかたありません。結局、構図とポーズ決めは弊社と社会交流会館のメンバーだけで行うことに変更せざるを得ませんでした。

 
関係者でポーズと構成を決める

 

おわりに

 どんなプロジェクトでも、それを進めるにあたり、必ずと言っていいほど大小の課題が発生します。それでも依頼主ならびにチームのメンバーなど多くの関係者が原点に戻り、心を一つにして課題を解決し、プロジェクトを推し進めるには、コンセプトと背景の確認が不可欠です。依頼主と合意しながら、プロジェクトの方向を定める、シンプルでわかりやすいコンセプトの策定、それを受けた設計方針、展示内容のまとめ役となるプランナーは、その意味で責任重大な役割を担っています。

 また、ミュージアムのプランナーは、展示内容、展示資料への理解をとくに求められることからチームの誰よりもよき聴き手でなければなりません。当件では、社会交流会館の原田寿真学芸員から率直なご意見をいただき、様々な示唆を得ました。展示を見て何かあなたが「学び」を得る箇所があるとすれば、それは同氏のアドバイスによるものが大きいと思います。
 
 一つの仕事が終わると、いつもこう振り返ります。わたしたちは依頼主にとってよきパートナーだったのか、本当に来館者の視点で展示づくりができたのかと。答えはこれから明らかになるのでしょう。いまはそれをプロジェクトメンバーとともに楽しみにしたいと思います。


 正門から歴史資料館へは、右へ、そして左へと緩やかにカーブする老い桜の並木道が続きます。ここを歩くたびに映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲(坂本龍一作曲)の旋律が聴こえくるような気がします。あのピアノの切ない調べが舞い降りてくるような錯覚を起こすのです。あり得ないような逆境にあっても、もがき悩みながら命の炎を燃やす登場人物たちの姿が、ここで懸命に生きてきた入所者の方々の人生と、どこか重なるからでしょうか。

 あなたがいま、生きづらいと感じているのなら、ぜひ菊池恵楓園歴史資料館を訪ねてみてください。大切な何かが見つかるはずです。

 最後になりましたが、展示の設計制作にあたり、厚生労働省の皆様、とくに箕田誠司園長をはじめとする菊池恵楓園の皆様、入所者自治会の志村康会長、太田明副会長、そして原田寿真学芸員には、様々なご指導と厚いご支援を賜りました。ここに深く感謝いたします。

歴史資料館への見学は下記のホームページから予約が必要です。
https://www.keifuen-history-museum.jp/

神 剛司 ミュージアム プランナー
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